父の救いの証し
「短く言えば、父が救われました。」
55年間、世界救世教を信じてきた父。その最期の入院の中で起きたことを、加藤みやこ姉妹が家族と教会の祈りとともに振り返ります。
動画タイトル:神様の奇跡!偶像教からの救い「父の救いの証し」
まず、本人の声で。
文章は、公開動画の意味と流れを変えない範囲で読みやすく整理しています。表情、声の揺れ、間を含めた証しそのものは、ぜひ動画でご覧ください。
55年間の信仰、その始まり。
加藤姉妹は冒頭で、「短く言えば、父が救われました」と語ります。
父が世界救世教を信じるようになったきっかけは、加藤姉妹の弟が生まれた時のことでした。弟は命が危ぶまれる状態だったといい、近くにあった世界救世教の布教所で祈りを受けた後、状態が回復したと家族は受け止めました。
その出来事を目の前で見た父は、それから約55年間、熱心に信仰を続けました。加藤姉妹自身は、後にその信仰を「偶像礼拝だった」と振り返っています。
ただ、亡くなる2年ほど前から、運転免許を返納したことや目・耳の衰えもあり、毎週のように通っていた場所へ行かなくなり、以前ほど宗教の本を読むこともなくなっていったそうです。
入院と、家族が集まった時間。
父は89歳を迎える少し前まで、自宅でできることを自分で続けていました。施設へ入ることを望まず、親族やヘルパー、デイケアの支えを受けながら一人で暮らしていたといいます。
ところが肺炎が悪化し、入院することになりました。医師からは高齢で体力的に厳しい可能性も伝えられましたが、加藤姉妹が病院を訪ねた時、父はまだ会話ができ、孫が来たと知ると立ち上がって会いに行こうとするほどだったそうです。
その時、加藤姉妹は父の手を取り、「イエス様を信じて天国へ行こう」と語りかけました。長い間、福音を伝えても自分の信仰で天国へ行けると言っていた父が、この時は「うん」と応じたと振り返ります。
告白の祈りと洗礼。
最初の面会では同室の患者さんの声もあり、落ち着いて話すことが難しかったため、加藤姉妹は「福音をきちんと語れる静かな時間が与えられますように」と祈って帰りました。
翌日、病院から状態が危ないと連絡があり、その後、父は一人部屋へ移ることになりました。金曜日の夜、長く面会できる時間が与えられた中で、加藤姉妹は「今、信仰告白の祈りをしなければ」と感じたと語ります。
父はすでに言葉を発することが難しくなっていましたが、耳は聞こえ、反応もあったといいます。加藤姉妹は、これまでの罪や偶像礼拝を赦してくださいと父に代わって祈り、イエス・キリストによる赦しを告げ、水を用いて洗礼(滴礼)を授けたと証ししています。
祈りの間、そばにいた息子さんは、父が流す涙を拭いていたそうです。加藤姉妹はその涙を、父が祈りを受け止めていたしるしとして受け取りました。
長く身につけていたものを外し、父を見送る。
翌日、父の首には、それまで信仰していた宗教のお守りが残っていました。加藤姉妹は、その紐を切り、「これまでの関係を断ち切り、イエス・キリストにつながる」と祈ったと語ります。
また入院中、看護師から肺の状態について良い変化を示す言葉を聞き、痰の吸引が必要なくなった時期があったとも振り返ります。お守りを外した後には、それまで上がっていた呼吸が落ち着いたように見えたといいます。
これらの変化について、加藤姉妹は家族や教会の祈りの中で受け取った恵みとして証ししています。このページでは医療上の因果を断定せず、本人が経験をどのように受け止めたかをそのまま大切にしています。
その夜、父は穏やかに休みました。翌朝、病院から心拍停止の連絡を受け、家族が駆けつけた時には、父は眠っているような表情だったといいます。加藤姉妹は「主が連れて行ってくださった」と平安の中で受け止めました。
葬儀と、家族の中で広がった証し。
父を見送った後、すぐに葬儀の場所を探す必要がありました。空きがなかなか見つからない中で、家族が集まって過ごせる場所と担当者が与えられ、数日後に葬儀を行うことができたといいます。
アットホームチャーチ沖縄から届いた花もあり、親族の前で、自分と息子が洗礼を受けてクリスチャンになったこと、そして父の最期に起きたことを証しする機会になりました。
その場で初めて、従姉妹とその娘もすでに教会につながっていることを知りました。加藤姉妹は、知らないところでも家族の中に信仰の芽が出ていたことを喜びとして受け取ります。
葬儀では「アメイジング・グレース」と「偉大な神」を流し、いちご大福とお茶を囲みながら父を偲びました。担当者の提案で、親族みんなで花を入れ、棺を運び、静かで温かい時間になったと語っています。
25年以上前に送った福音が、残っていた。
葬儀の前後、父が以前使っていた事務所を見ていた加藤姉妹は、棚の上に古いビデオテープとトラクトを見つけました。25〜26年ほど前、香港から父へ送った福音の資料でした。
父はその時には信じなかった。それでも、捨てずに、封筒ごと残していた。
「父は、その時は信じなかったけれど、福音を受け取って捨てはしなかった。」
そのことは加藤姉妹にとって、大きな慰めになりました。さらに妹と食事をした時、食べ終えた茶碗の底に「ありがとう」という文字が現れたことも、父を見送った後の慰めとして受け取ったと語ります。
ここでも、このページは出来事に超自然的な意味を断定するのではなく、加藤姉妹がその出来事をどのように受け取り、励まされたかを証しとして伝えます。
「祈りは無駄にならない」と受け取ったこと。
加藤姉妹がこの証しの最後に何度も語るのは、自分一人の力ではなく、教会の兄弟姉妹が背後で祈り続けてくれたことへの感謝です。
父の救いを祈り続けてきた年月の中で、目に見える変化がない時もありました。それでも、ずっと前に送った福音の資料が残されていたことや、父が最後に「うん」と応じたことを振り返り、「語ったことや祈ったことは消えていなかった」と受け止めています。
そして、一人の家族の出来事を通して、教会が祈り合い、支え合うことの意味を改めて経験したと結びます。
簡単に言えば「父が救われた」。けれど、その一つ一つの過程の中に、小さな恵みが重なっていた——それが、この証しで加藤姉妹が伝えていることです。
証しは、一人の人が自分の人生と信仰をどのように受け止めたかを語るものです。病気の治療や回復を保証するものではなく、医療その他の専門的な支援に代わるものでもありません。
