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DISCOVER 01 · WHO IS JESUS?

イエスさんって、どんな方?

きっと、最初の印象だけでは分からない。

人のことって、そうですよね。

最初は、なんとなくのイメージで見ていた。
でも知っていくうちに、「あれ。思っていた人と全然違う。」

イエスという人も、そうかもしれません。

約2000年前。イスラエルの町を歩き、人と話し、人と食事をした、ひとりの人。

イエスさんって、本当はどんな方だったのでしょう。

PEOPLE SAW HIM DIFFERENTLY

当時の人たちも、答えは一つではありませんでした。

先生だと思う人がいました。

預言者だと思う人もいました。

信仰の深い、立派な人だと見る人もいました。

たしかに、どれもイエスさんの一面を見ています。

でも聖書は、そこで話を終わらせません。
この方は、それ以上の方だ。そう語っていくんです。

THE WORD BECAME HUMAN

ここから、少し不思議な話をします。

ヨハネは、イエスさんのことを「ことば」と呼びました。

言葉って、目には見えない思いを、相手に伝えてくれるものですよね。

聖書は、見えない神様がどんな方なのかを、イエスさんが私たちに示してくださったと語ります。

そしてその「ことば」は神であり、人となって、私たちの間に来られた。

不思議な話です。でもここが、キリスト教の中心へ入っていく場所なんです。

ヨハネ 1:1, 14
GOD CAME NEAR

神でありながら、人として来られました。

遠くから人間を眺めていた、という話ではありません。

イエスさんは歩きました。疲れました。人と食事をし、友のために涙も流しました。

喜びも、悲しみも。痛みも。

私たちが生きている、この同じ世界へ来られた。

神が、人となって。

アットホームチャーチが信じているイエスさんは、そういう方です。

WHY DID HE COME?

でも、どうして神が人になったのでしょう。

ここで聖書は、私たち自身の話を始めます。

愛したいのに、愛せない。正しくありたいのに、間違えてしまう。傷つけたくないのに、誰かを傷つけてしまう。

聖書は、私たちの中にある、神様から離れてしまう現実を「罪」という言葉で語ります。

イエスさんは、その罪を背負い、人を救うために来られた。

だから、神であり、人である。これは難しい神学を覚えるための話ではありません。私たちの救いに関わる話なんです。

THE CROSS

そしてイエスさんは、十字架へ向かわれました。

罪のない方が、人の罪を背負って死ぬ。

弟子たちは、信じていたものが全部終わったように感じたはずです。

一緒に歩いてきた人が、もういない。あれほど抱いていた希望も、十字架の前で消えてしまったように見えました。

でも…物語は、そこで終わりません。

聖書は、死なれたイエスさんが、よみがえられたと語ります。そして弟子たちは、もう一度この方と出会います。

THOMAS

ひとりだけ、まだ信じられない人がいました。

トマスです。

復活したイエスさんが弟子たちに現れた時、トマスはそこにいませんでした。仲間から「主を見た」と聞いても、すぐには信じられませんでした。

それから八日後。今度は、トマスもいました。

そこにイエスさんが立ったとき、トマスの口から言葉がこぼれます。

「私の主。私の神。」

長い説明ではありません。でも、トマスにとっては、それが答えでした。

ヨハネ 20:24–28
THE WAY

イエスさんは、「道を教える」とは言いませんでした。

ご自身を、

「道であり、真理であり、いのち」

と語られました。

キリスト教の中心にあるのは、ただの教えでも、ルールでもありません。

神でありながら人となり、私たちを救うために来られた方。

イエス・キリストです。

だから、キリスト教を知るなら、まずこの方を知ることから始まります。

ヨハネ 14:6

イエスさんを知ろうとすると、次の問いが自然に出てきます。
「では、神様って、本当にいるの?」

Episode 02 · 神様って、本当にいるの? →